2007/10/20

サッカー情報:ドーハの悲劇2007

おはようございます、KWサッカー情報です。
ナビスコカップの決勝の勝敗+試合の流れ予想募集中です!⇒info@kwow.jp

またまたドーハの悲劇が…
4大会連続五輪出場を目指す日本が、カタールとの試合で後半ロスタイムの失点により自力での4大会連続五輪出場がほぼ不可能になりました…
とはいえ、まだ出場が不可になったわけではありません。残り2戦連勝と大量得点が必須ですが、これさえばれば五輪出場もあるかも!?
それと、11/3(土)に川崎FとG大阪が決戦です。こちらの皆さんの考える決勝の勝敗予想+試合の流れも教えてください。   
 
皆さんから頂いたご意見です。
■bird様:攻撃力が売り物のG大阪と川崎という楽しみな対戦となったが、打ち合いの末にG大阪が勝つと見る。G大阪はマグノアウベス・バレーの状態が気になるが、彼らがいなくても得点力は高く不安はない。川崎ももちろん地力は劣らないが、我那覇が復活しないと本物の川崎ではないと考えているので、僅かに及ばないかと思うのだが。

それでは来週もお楽しみに!

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2007/10/12

KWサッカー情報:ナビスコカップ

おはようございます、KWサッカー情報です。
ナビスコカップの決勝の勝敗+試合の流れ予想募集中です!⇒info@kwow.jp

10月10日(水)ヤマザキナビスコカップ:準決勝 第1戦はガンバ大阪が鹿島に、川崎フロンターレが横浜F・マリノスに勝利しました。
ガンバ大阪、川崎フロンターレおめでとうございます。
次の第2戦は明日(10月13日(土))!!
鹿島VSガンバも、川崎フロンターレVSマリノスも見逃せませんね!!

皆さんはどちらを応援しますか?

それでは来週もお楽しみに!

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2007/01/28

サッカー通信「Man Of The Week ジュニーニョ

こんにちは。サッカー通信です。今週は「ジュニーニョ」を紹介します。

ジュニーニョ・ベルナンプ・カーノ国籍:ブラジルポジション:MF所属チーム:リヨン178cm71kg 1975年1月30日生まれ卓越した両足のパス技術とドリブルによるゲームメイク、優れた戦術眼と見る者を魅了し高い決定力を誇るフリーキック、更には中盤ならばどのポジションでもプレー出来るユーティリティ性、持ち合わせる多くの長所を活かし、バスコ、そしてリヨンに数多くのタイトルをもたらしたブラジル代表MF。ラジル北東の都市レシフェに生まれ、地元クラブにてキャリアをスタート、1995年に名門バスコ・ダ・ガマへ入団すると1997年全国選手権等のタイトルに大きく貢献、1998年リベルタドーレス杯準決勝第2戦では強豪リーバープレート相手に値千金のFKを決める活躍を見せ決勝バルセロナ戦でも抜群のパフォーマンスを見せて優勝に重要な役割を果たす。同年トヨタカップでは来日、レアル・マドリードの前に1ー2と惜敗したがバスコ唯一の得点はジュニーニョによるループシュートであった。バスコとの契約満了後の01/02シーズンよりフランスリーグへ加入、2001年7月28日ランス戦のリーグデビュー後は主力として活躍、カリエール、コヴ、アンデルソン等と奏でる素晴らしい攻撃バリエーションはクラブ初となるリーグ制覇に相応しいものであった。翌シーズンには第11節オセール戦にてハットトリックを決めるなどクラブ最多となる13得点を挙げリーグ連覇に貢献、更にその後も最強リヨンの旗手としてリーグ5連覇を達成した他、チャンピオンズ・リーグでは3シーズン連続のベスト8躍進の原動力となり、その実力の程を改めて証明している。バスコ・ダ・ガマでの活躍からブラジル代表にも召集され1999年3月28日韓国戦にてデビュー、3日後の日本戦にも出場している。2002年W杯南米予選でも2試合に出場したが、本大会メンバーには選出されずその後代表から遠ざかったが2003年2月に代表復帰を果たしその後はコンスタントに召集されている。昨日開幕したワールドカップのメンバーにも選ばれており、日本での注目度も高いものがある。彼の必殺FKでわれわれをわくわくさせてほしい。

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2007/01/27

サッカー通信「Man Of The Week ジダン

こんにちは。サッカー通信です。今週は「ジダン」を紹介します。

ジネディーヌ・ジダン国籍:フランスポジション:MF 所属チーム:レアル・マドリード185cm80kg 1972年6月23日彼についてはいまさら多くの説明は不要であろう。強靭な肉体と、並外れた技術を備え、中盤のカリスマと呼ぶにふさわしい選手である。クラブ、ナショナルチーム、個人それぞれで幾度ものビッグタイトルを手にし、今年開催されるワールドカップで現役引退を表明した。95/96シーズンにボルドーをUEFAカップ決勝にまで導いて脚光を浴び、そのシーズン終了後にイタリアの強豪ユベントスへ移籍する。ユベントス加入後すぐにスクデット獲得に貢献し、その存在は揺るぎ無いものとなり、翌シーズンのスクデット連覇までも達成する。1998年地元フランス開催のワールドカップでの活躍も素晴らしく、現代サッカーの組織の中で見事に論理と発想をプレーで表し、決勝では2ゴールを決めるなどフランスの初優勝に貢献。それは「プラティニの後継者」から「プラティニを超える存在」となった瞬間でもあった。(この年のバロンドールなどのビッグタイトルすべてを受賞)2000年の欧州選手権でも前評判通りの活躍を見せて優勝に貢献し、ワールドカップと欧州選手権を連覇した史上初の国にフランスの名を刻み現代サッカーの象徴的地位を築いた。そして20世紀最優秀クラブに選ばれたスペインの名門レアル・マドリードにおいて、記念すべき創立100周年にあたる2001年の獲得リストに載ることになり、自身の夢でもあるチャンピオンズ・リーグ制覇達成のために世界最高額となる移籍金140億ペセタ(88億円)で移籍をする。そこで数々のビッグタイトルを総なめにしてきたジダンに唯一足りなかった悲願のビッグイヤーを時を待たずして移籍初年度に勝ち取ると同時に、この大会決勝での決勝弾はサッカー界に永遠に語り継がれる素晴らしいものであった。(決勝戦MVP、UEFA最優秀選手にも選出)2002年ワールドカップでは優勝候補フランスは開幕直前に起こったジダンの負傷が大きく響き、1得点も挙げられないままグループリーグで敗退してしまう。これは、名実共に世界最強を誇った王者フランスにとってジダンがいかに偉大な存在であったかを物語っていた。その後レアル・マドリードでクラブ初となる欧州スーパーカップをもたらし、トヨタカップも獲得。さらにはリーガ・エスパニョーラのリーグ制覇にも大きく貢献した。これらのすばらしい経歴をもつ彼もワールドカップでピッチからはなれることになる。サッカー界に多くの伝説と感動をもたらしたジダンのラストダンスに全世界の注目が集まる。最後の伝説を作る可能性は十分だ。

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2007/01/25

サッカー通信「Man Of The Week メッシ

こんにちは。サッカー通信です。今週は「メッシ」を紹介します。

リオネル・メッシ国籍:アルゼンチンポジション:FW 所属クラブ:バルセロナ169cm67kg 1987年6月24日生まれ18歳という年齢にして「マラドーナ二世」との呼び声も高く、十分にその素質を備えもつ選手。ドリブル、スピード、得点感覚、どれをとってもワールドクラスの実力を持つ。近年のバルセロナ大躍進にも多大なる貢献を果たし、多くのジャーナリスト達が今年のワールドカップ若手最注目選手であると推す。3才の頃父親によって与えられたサッカーボールに夢中になった少年はやがて地元グランドーリという父親の作った少年クラブチームにて本格的にサッカーを始める。その後アルゼンチン名門ニュエルスの下部組織に入り、瞬く間に頭角を現すと強豪リバープレートが獲得に動いたが、この時のメディカルチェックの際成長ホルモンの障害が発覚、当時身長が140cmにも満たなかったのはこれが原因だったのである。これにより移籍話が無くなった所か障害を克服するため通院を余儀無くされるが、月10万円の医療費はけして裕福とは言えない家計を苦しめる事となる。所属するニュエルスへ相談するも話を聞き入れてもらえず、しびれをきらした父親はメッシに興味を示しているバルセロナの入団テストを 受けさせるためスペインへ渡る事を決意する。ホルモン障害を持つ小柄な少年はそれを補うだけの左足のテクニックでバルセロナの強化担当であったレシャクを釘付けにし契約に成功する。入団後は各カテゴリーをエースとしてプレー、03/04シーズンにはバルセロナBチームにてデビューを果たし素晴らしい活躍を見せた。04/05シーズン第7節エスパニョール戦において弱冠17才と3ケ月でトップリーグデビューを飾ると同シーズン5月1日アルバセテ戦にて芸術的なループシュートにより初得点を記録、これはシャビの持つクラブ最年少得点記録を更新する貴重なゴールとなった。(17才10ケ月7日)デビューシーズン通算7試合1得点でリーグ優勝を経験、シーズン中1月にコロンビアで開催されたUー20南米選手権では17才ながら エースとして異次元のプレーを見せつけ5得点を記録しワールドユース出場権獲得に貢献する。更にシーズン終了後に開催されたワールドユースでは通算6得点で得点王に輝きチームを2大会ぶりの優勝に導き、自身も大会最優秀選手となった。この大会での活躍中、バルセロナとの契約延長が成されているがこの時結んだ新契約の中に違約金1億5000万ユーロ(約200億円)という破格の金額が設定されている。バルセロナ加入後、18才にしてリーグ優勝2回、チャンピオンズリーグ1回の栄光を刻み、世界から高い注目を浴びている。2005年8月17日、ブダペストで行われたハンガリーとの親善試合にてフル代表デビュー(後半途中出場)。だがピッチに立ったその2分後に相手選手にひじ打ちをして一発退場となる不運なデビューもスター候補と言うに相応しい所。その後はコンスタントに出場し2006年3月クロアチア戦にて代表初ゴールも記録、今年のワールドカップアルゼンチン代表には最年少で選出mされている。優勝候補ナンバー1として出場した前回大会では不甲斐ない結果に終わったアルゼンチン。メッシの活躍がアルゼンチンの明暗を分けるというのも過言ではないだろう。

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2007/01/24

サッカー通信「Man Of The Week 川口

こんにちは。サッカー通信です。今週は「川口」を紹介します。

川口能活国籍:日本ポジション:GK所属クラブ:ジュビロ磐田179cm78kg 1975年8月15日ゴールキーパーとしては、体格に恵まれているとは言えないが、持ち前の瞬発力と、勇敢な飛び出しで、ジーコジャパンのゴールを守り抜いてきたキーパー。現在開催中のWカップでも、初戦でのミスはあったものの、幾多のスーパーセーブを見せ、世界にその存在感をみせつけた。小学校時代からGKとしてプレー、東海大一中を経て名門清水商業高校へ入学すぐに正GKとして活躍し1993年全国高校選手権ではチームを優勝に導いている。1995年横浜マリノスへ入団、同年4月26日柏レイソル戦にてJデビューを果たすと3試合連続の完封勝利を収め不動の地位を確立、ファーストステージ優勝に貢献し更にヴェルディ川崎とのチャンピオンシップでは第1戦、第2戦とも完封勝利に導き年間王座の美酒を味わった。この年の最優秀新人賞であったのは言うまでもない。その後も不動の守護神として活躍し2000年ファーストステージ優勝、そして2001年ナビスコカップ優勝に貢献した後、2001年10月末イングランドへ渡り同年11月3日シェフィールド戦にて海外デビューを飾った。11月25日マンチェスター・シティ戦ではMVPにも選出されるプレーを見せたがその後チームは低迷、その責任は外国人GKである川口にも向けられ序所に出番を失っていく事となる。翌シーズン、チームは躍進しプレミア昇格を果たすが川口に与えられた出場機会は通算1試合、シーズンのほとんどをリザーブリーグで過ごし03/04シーズンより出場機会を求めデンマークリーグへ移籍する事となる。2003年10月5日ヘアフュルヘ戦にてリーグデビュー、エクストラ・ブラデット紙の選出する第11節ベストイレブンにも選出される最高のデビューを飾ったが第12節5失点、第13節に至っては7失点を屈し大敗、ここでも正守護神の座を射止める事が出来なかったのは残念な所である。2005年よりJリーグに復帰、ジュビロ磐田にて以前のパフォーマンスを披露している。アトランタ五輪日本代表として予選9試合に出場し28年振りの出場に貢献、五輪本大会では予選リーグ敗退という残念な結果に終わるも、初戦ブラジル戦では雨のように打たれるシュートに対しファインセーブを連発、その後相手のミスをついて日本が得点を挙げ勝利を掴み「マイアミの奇跡」として今尚語られそして、その主役は川口であった事は誰もが認める所だろう。その後1997年2月13日バンコクで開催されたキングスカップ、スウェーデン戦にてフル代表デビューを果たし以後不動の地位を確立、1998年ワールド杯にて大きな経験を積み2000年アジアカップにて優勝に貢献、翌年コンフェデレーションズ・カップでは準優勝に大きな役割を果たしベスト11にも選出された。しかし、その後海外クラブでの不調が災いしたのか楢崎に正守護神の座を奪われ2002年ワールド杯には1試合の出場も果たせなかった。ジーコ体制となった後2003年3月ウルグアイ戦にて約1年振りの代表戦出場、その後監督の信頼を得て日本代表ファーストGKに返り咲いた。現在開催中のwカップグループリーグ二戦目のクロアチア戦では、0-0で進む試合の中で、DF宮本が与えたPKを見事セーブ。グループリーグ敗退に散った日本代表の中で、唯一獅子奮迅の活躍を見せた。

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2007/01/23

サッカー通信「Man Of The Week」 エトー

こんにちは。サッカー通信です。今週は「エトー」を紹介します。

サミュエル・エトー 国籍:カメルーン ポジション:フォワード 所属クラブ:バルセロナ 180cm75kg 1981年3月10日生まれ 爆発的なスピードからの豪快なシュートを放つその姿はまるで豹のよう。高い得点能力を持ち、敵ディフェンダーからすれば、世界でもっとも嫌な選手お一人であろう。 97/98シーズン、1年間期限付レンタルにて2部リーグのレガネスへ加入する。その後レアル・マドリードへ復帰するが出場機会に恵まれず、99/00シーズン途中に再びマジョルカへレンタル移籍。ここで13試合に出場し6得点を挙げる活躍を見せると翌00/01シーズンには通算11ゴール6アシストを記録しリーグ3位の好成績に貢献、同時にチーム初となるチャンピオンズ・リーグ出場権を得てサポーターの心を掴んで見せた。01/02シーズンよりチーム最高額となる移籍金(約8億円)で完全移籍を果たしたが、チームは降格争いに加わる低迷を見せ、自身も30試合6得点と期待外れな結果に終わった。しかし、翌02/03シーズンには本来の輝きを取り戻し、新戦力として加わったパンディアーニとのコンビでファンを魅了、通算14得点を挙げる活躍を見せれば国内カップ決勝では2得点を挙げタイトルに大きな役割を果たした。04/05シーズンよりバルセロナへ引き抜かれ、より優れたパサーを得るといきなり24得点を記録しリーグ優勝に貢献、翌シーズンには26得点で得点王に輝くと同時にリーグ連覇を達成させた。また、このシーズンのチャンピオンズ・リーグ決勝では貴重な同点弾を記録するなど14年振りの欧州制覇にも多大なる役割を果たしている。 1997年3月9日、弱冠15才の時コスタリカ戦にて代表デビュー。1998年フランスW杯にて歴代2位の最年少記録で出場を果たすとその後代表の核として君臨、アフリカ選手権2連覇の原動力となった。2000年に行われたシドニーオリンピックでは攻撃的MFとして起用され驚異的なスピードで2列目から飛び出し、果敢な攻め上がりを見せて得点も記録、カメルーンの金メダルに大きく貢献した。2002年ワールド杯でチームは予選リーグ敗退を屈したが、そんな中にあってもズバ抜けたスピードでファンを魅了し1得点1アシストを記録している。2003年コンフェデ杯予選リーグフランス戦で見せた試合を決める素晴らしいドライブシュートは強烈なインパクトを残し、この年のアフリカ最優秀選手選出の決定打となった。また、翌2004年、2005年にも移籍したバルセロナでの活躍が認められ、CAF選出となってからは初となる3年連続で同賞に選出されている。選手としてピークにある今、2006年W杯アフリカ地区予選にてコートジボワールに出場権を奪われたのが非常に残念な所と言えるだろう。

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サッカー通信「Man Of The Week」 アデバヨール

こんにちは。サッカー通信です。今週は「アデバヨール」を紹介します。
エマニュエル・アデバヨール
国籍:トーゴ
ポジション:FW
所属チーム:アーセナル
190cm76kg
1984年2月26日生まれ

アフリカ人特有の身体能力の高さを持ち合わせ、高さに富む。足元のテクニックも柔軟で、ポストプレーもそつなくこなす。その年齢からも、今後の躍進が期待されるプレーヤーであることは間違いない。
地元のスポルティング・クラブ・ロメでプレーしていた15才の時、スウェーデンで開催された国際ユース大会でのプレーが認められてメツのユースチームへ引き抜かれ、単身でフランスへ渡る。ここで2年間育成された後、01/02シーズン弱冠17才でディビジョン1デビュー、チームは降格を屈したものの、ディビジョン2においてより多くの経験を積むと同時に通算13得点を挙げて1年でのディビジョン1復帰に貢献する。この活躍から一時はサウサンプトンへの移籍話が進むが、契約寸前で当時モナコを率いたデシャンの熱烈なラブコールを受ける格好でこの名門へ移る事となった。ここでも移籍1年目から8得点を挙げる活躍を見せるが、モリエンテスの加入や自身の不振も手伝ってシーズン後半はベンチを温める事が多く、チャンピオンズ・リーグ決勝にまで勝ち進んだ中でも、その舞台に立つ事はなかった。その後は不動の地位を確立させたが05/06シーズン途中、デシャン監督の辞任やフロント陣への不信感から移籍の意思を固め700万ポンドの移籍金でプレミア強豪アーセナルへ引き抜かれる。2006年2月4日バーミンガム戦にてプレミアデビューを果たしこの試合でプレミア初得点をも記録、期待通りのパフォーマンスでチームにとって重要な選手の1人となっている。
代表デビューはW杯アフリカ予選となった2000年7月8日ザンビア戦で弱冠16才の時。その後も序所に出場機会を増やし2002年アフリカ選手権にも出場、また、クラブレベルでの成長もあり若くして不動の地位を確立させた。そして2006年W杯アフリカ予選ではアフリカ地区最多の11得点を記録し母国を初のW杯へ導き国民的英雄となった。本大会では思うような活躍には至らず残念な結果に終わったがこの経験が今後アデバヨールにとって貴重な物となる事に期待したい。

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サッカー通信「Man Of The Week エッシェン

こんにちはサッカー通信です。今週は「エッシェン」を紹介します。
ミカエル・エッシェン
国籍:ガーナ
ポジション:MF
所属チーム:チェルシー
180cm77kg。1982年1月28日アフリカ人特有の素晴らしい身体能力を備え、豊富な運動力と強靱なフィジカルによって好守に絶大な存在感を示すガーナ代表MF。本来セントラルMFのポジションを本職とするも両サイドからセンターバックまで高いレベルでプレー出来るオールラウンダーでもある。サッカープレーヤーであった父親の影響からサッカーに興味を持ち少年時代は元フランス代表MFカントナに憧れを抱きながら地元リバティー・アクラにて本格的にキャリアをスタートさせる。1999年Uー17世界選手権にて代表メンバーに加わり5試合に出場、卓越した能力を見せ3位に貢献した事で、マンチェスター・Uへの加入が現実味を増すが、就労ビザが下りず断念する事となる。2000年7月、フランス中堅チームであるバスティアへ加入しプロ契約。18才でトップデビューを果たすと、その後は主力として活躍、当初はライトバックとしてプレーし、その後レフトバックからセンターバック、更にはセントラルMFと、ポジションを移し大きな経験を得る事に成功、01/02シーズンにはフランスカップ決勝進出に貢献した事で知名度は日々を追って増す事となる。02/03シーズン終了後、リヨンとパリSGの獲得合戦の末バスティア史上最高額となる780万ユーロにてチャンピオンチームであるリヨンへ引き抜かれるがここでもすぐに不動の地位を確立、34試合に出場し自身初のリーグ優勝を達成させ、翌04/05シーズンにもリーグ連覇、更にシーズンを通して見せたパフォーマンスが評価されフランスリーグ最優秀選手にも選出された。このシーズン、ただ1つ悔いが残るとすればチャンピオンズ・リーグ準々決勝、PK戦までもつれたPSV戦において、このPKを外し、チームも破れてしまった事だろうが、これも自身にとって大きな経験となったのは間違いない所であろう。シーズン終了後の2005年8月、フランスリーグでは最高額となる3800万ユーロ(約51億円)にてプレミア強豪チェルシーへ引き抜かれ同月21日アーセナル戦にてプレミアデビュー、今では必要不可欠の選手となっている。ガーナ代表としては、先にも述べたUー17代表での活躍後2001年ワールドユースでは全7試合に出場、グループリーグ初戦となったパラグアイ戦においてチームのファーストゴールを記録し翌年のアフリカ選手権初戦モロッコ戦にてフル代表デビュー。06年ワールドカップではブラジルの前に16強に散ったが、今後のガーナ飛躍の鍵は彼が握っているといっても過言ではないだろう。

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2007/01/22

サッカー通信「Man Of The Week チアゴ

こんにちは。サッカー通信です。今週は「チアゴ」を紹介します。

チアゴ
国籍:ポルトガル
ポジション:MF
所属クラブ:リヨン
1981年5月2日
183cm79kg

豊富な運動量で攻守に渡り活躍するポルトガル代表MF。展開力、ボール奪取率とボランチに必要な要素をすべて兼ね備えるほか高い得点能力も魅力の1つ、90年代ポルトガル代表を支えたパウロ・ソウザの再来として高く評価されている。地元のヴィアネンセというクラブの下部組織で本格的にサッカーを始め18才の時スポルティング・ブラーガにてプロデビューを果たす。デビュー2年目となった00/01シーズン、チームのリーグ4位躍進に大きな役割を果たし脚光を浴びると翌シーズン途中国内ビッグクラブへの移籍話が本格化、当初ポルトへの加入が濃厚かと思われたが監督がモウリーニョに代わった事で白紙となり一転ベンフィカへの移籍が決定した。加入後すぐに主力となり02/03シーズンには自身最多の13得点を記録、翌03/04シーズン国内カップでは準々決勝、準決勝と2戦連続貴重なゴールを記録し、クラブにとっては8シーズン振りのタイトル獲得に大きく貢献した。ベンフィカでの成長はチェルシーの新監督となったモウリーニョの目にもとまり1200万ユーロ(約15億円)でイングランドへ渡る。2004年8月21日バーミンガム戦にてプレミアデビューを果たすと通算34試合(24試合スタメン)に出場し50年振りのリーグ制覇に貢献、シーズン終了後の移籍市場においてエッシェンと入れ代わる形でイングランドを去るが、新天地となったフランスでもエッシェンの穴を埋めるに相応しい活躍を見せてリーグタイトルを獲得し、母国での国内カップから数え3年連続して別々のチームでクラブタイトルを手に入れる。代表デビューは2002年11月20日スコットランド戦。2004年欧州選手権ではメンバーに選出、出場機会こそ無かったが、その後この経験を活かし着実にチームの中で重要性を高める事に成功すると2006年W杯では、これまで通算5試合に出場しベスト4進出の原動力となって活躍した。

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