2007/10/20

サッカー情報:ドーハの悲劇2007

おはようございます、KWサッカー情報です。
ナビスコカップの決勝の勝敗+試合の流れ予想募集中です!⇒info@kwow.jp

またまたドーハの悲劇が…
4大会連続五輪出場を目指す日本が、カタールとの試合で後半ロスタイムの失点により自力での4大会連続五輪出場がほぼ不可能になりました…
とはいえ、まだ出場が不可になったわけではありません。残り2戦連勝と大量得点が必須ですが、これさえばれば五輪出場もあるかも!?
それと、11/3(土)に川崎FとG大阪が決戦です。こちらの皆さんの考える決勝の勝敗予想+試合の流れも教えてください。   
 
皆さんから頂いたご意見です。
■bird様:攻撃力が売り物のG大阪と川崎という楽しみな対戦となったが、打ち合いの末にG大阪が勝つと見る。G大阪はマグノアウベス・バレーの状態が気になるが、彼らがいなくても得点力は高く不安はない。川崎ももちろん地力は劣らないが、我那覇が復活しないと本物の川崎ではないと考えているので、僅かに及ばないかと思うのだが。

それでは来週もお楽しみに!

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007/10/12

KWサッカー情報:ナビスコカップ

おはようございます、KWサッカー情報です。
ナビスコカップの決勝の勝敗+試合の流れ予想募集中です!⇒info@kwow.jp

10月10日(水)ヤマザキナビスコカップ:準決勝 第1戦はガンバ大阪が鹿島に、川崎フロンターレが横浜F・マリノスに勝利しました。
ガンバ大阪、川崎フロンターレおめでとうございます。
次の第2戦は明日(10月13日(土))!!
鹿島VSガンバも、川崎フロンターレVSマリノスも見逃せませんね!!

皆さんはどちらを応援しますか?

それでは来週もお楽しみに!

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007/01/28

サッカー通信「Man Of The Week ジュニーニョ

こんにちは。サッカー通信です。今週は「ジュニーニョ」を紹介します。

ジュニーニョ・ベルナンプ・カーノ国籍:ブラジルポジション:MF所属チーム:リヨン178cm71kg 1975年1月30日生まれ卓越した両足のパス技術とドリブルによるゲームメイク、優れた戦術眼と見る者を魅了し高い決定力を誇るフリーキック、更には中盤ならばどのポジションでもプレー出来るユーティリティ性、持ち合わせる多くの長所を活かし、バスコ、そしてリヨンに数多くのタイトルをもたらしたブラジル代表MF。ラジル北東の都市レシフェに生まれ、地元クラブにてキャリアをスタート、1995年に名門バスコ・ダ・ガマへ入団すると1997年全国選手権等のタイトルに大きく貢献、1998年リベルタドーレス杯準決勝第2戦では強豪リーバープレート相手に値千金のFKを決める活躍を見せ決勝バルセロナ戦でも抜群のパフォーマンスを見せて優勝に重要な役割を果たす。同年トヨタカップでは来日、レアル・マドリードの前に1ー2と惜敗したがバスコ唯一の得点はジュニーニョによるループシュートであった。バスコとの契約満了後の01/02シーズンよりフランスリーグへ加入、2001年7月28日ランス戦のリーグデビュー後は主力として活躍、カリエール、コヴ、アンデルソン等と奏でる素晴らしい攻撃バリエーションはクラブ初となるリーグ制覇に相応しいものであった。翌シーズンには第11節オセール戦にてハットトリックを決めるなどクラブ最多となる13得点を挙げリーグ連覇に貢献、更にその後も最強リヨンの旗手としてリーグ5連覇を達成した他、チャンピオンズ・リーグでは3シーズン連続のベスト8躍進の原動力となり、その実力の程を改めて証明している。バスコ・ダ・ガマでの活躍からブラジル代表にも召集され1999年3月28日韓国戦にてデビュー、3日後の日本戦にも出場している。2002年W杯南米予選でも2試合に出場したが、本大会メンバーには選出されずその後代表から遠ざかったが2003年2月に代表復帰を果たしその後はコンスタントに召集されている。昨日開幕したワールドカップのメンバーにも選ばれており、日本での注目度も高いものがある。彼の必殺FKでわれわれをわくわくさせてほしい。

| コメント (0) | トラックバック (1)

2007/01/27

サッカー通信「Man Of The Week ジダン

こんにちは。サッカー通信です。今週は「ジダン」を紹介します。

ジネディーヌ・ジダン国籍:フランスポジション:MF 所属チーム:レアル・マドリード185cm80kg 1972年6月23日彼についてはいまさら多くの説明は不要であろう。強靭な肉体と、並外れた技術を備え、中盤のカリスマと呼ぶにふさわしい選手である。クラブ、ナショナルチーム、個人それぞれで幾度ものビッグタイトルを手にし、今年開催されるワールドカップで現役引退を表明した。95/96シーズンにボルドーをUEFAカップ決勝にまで導いて脚光を浴び、そのシーズン終了後にイタリアの強豪ユベントスへ移籍する。ユベントス加入後すぐにスクデット獲得に貢献し、その存在は揺るぎ無いものとなり、翌シーズンのスクデット連覇までも達成する。1998年地元フランス開催のワールドカップでの活躍も素晴らしく、現代サッカーの組織の中で見事に論理と発想をプレーで表し、決勝では2ゴールを決めるなどフランスの初優勝に貢献。それは「プラティニの後継者」から「プラティニを超える存在」となった瞬間でもあった。(この年のバロンドールなどのビッグタイトルすべてを受賞)2000年の欧州選手権でも前評判通りの活躍を見せて優勝に貢献し、ワールドカップと欧州選手権を連覇した史上初の国にフランスの名を刻み現代サッカーの象徴的地位を築いた。そして20世紀最優秀クラブに選ばれたスペインの名門レアル・マドリードにおいて、記念すべき創立100周年にあたる2001年の獲得リストに載ることになり、自身の夢でもあるチャンピオンズ・リーグ制覇達成のために世界最高額となる移籍金140億ペセタ(88億円)で移籍をする。そこで数々のビッグタイトルを総なめにしてきたジダンに唯一足りなかった悲願のビッグイヤーを時を待たずして移籍初年度に勝ち取ると同時に、この大会決勝での決勝弾はサッカー界に永遠に語り継がれる素晴らしいものであった。(決勝戦MVP、UEFA最優秀選手にも選出)2002年ワールドカップでは優勝候補フランスは開幕直前に起こったジダンの負傷が大きく響き、1得点も挙げられないままグループリーグで敗退してしまう。これは、名実共に世界最強を誇った王者フランスにとってジダンがいかに偉大な存在であったかを物語っていた。その後レアル・マドリードでクラブ初となる欧州スーパーカップをもたらし、トヨタカップも獲得。さらにはリーガ・エスパニョーラのリーグ制覇にも大きく貢献した。これらのすばらしい経歴をもつ彼もワールドカップでピッチからはなれることになる。サッカー界に多くの伝説と感動をもたらしたジダンのラストダンスに全世界の注目が集まる。最後の伝説を作る可能性は十分だ。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007/01/25

サッカー通信「Man Of The Week メッシ

こんにちは。サッカー通信です。今週は「メッシ」を紹介します。

リオネル・メッシ国籍:アルゼンチンポジション:FW 所属クラブ:バルセロナ169cm67kg 1987年6月24日生まれ18歳という年齢にして「マラドーナ二世」との呼び声も高く、十分にその素質を備えもつ選手。ドリブル、スピード、得点感覚、どれをとってもワールドクラスの実力を持つ。近年のバルセロナ大躍進にも多大なる貢献を果たし、多くのジャーナリスト達が今年のワールドカップ若手最注目選手であると推す。3才の頃父親によって与えられたサッカーボールに夢中になった少年はやがて地元グランドーリという父親の作った少年クラブチームにて本格的にサッカーを始める。その後アルゼンチン名門ニュエルスの下部組織に入り、瞬く間に頭角を現すと強豪リバープレートが獲得に動いたが、この時のメディカルチェックの際成長ホルモンの障害が発覚、当時身長が140cmにも満たなかったのはこれが原因だったのである。これにより移籍話が無くなった所か障害を克服するため通院を余儀無くされるが、月10万円の医療費はけして裕福とは言えない家計を苦しめる事となる。所属するニュエルスへ相談するも話を聞き入れてもらえず、しびれをきらした父親はメッシに興味を示しているバルセロナの入団テストを 受けさせるためスペインへ渡る事を決意する。ホルモン障害を持つ小柄な少年はそれを補うだけの左足のテクニックでバルセロナの強化担当であったレシャクを釘付けにし契約に成功する。入団後は各カテゴリーをエースとしてプレー、03/04シーズンにはバルセロナBチームにてデビューを果たし素晴らしい活躍を見せた。04/05シーズン第7節エスパニョール戦において弱冠17才と3ケ月でトップリーグデビューを飾ると同シーズン5月1日アルバセテ戦にて芸術的なループシュートにより初得点を記録、これはシャビの持つクラブ最年少得点記録を更新する貴重なゴールとなった。(17才10ケ月7日)デビューシーズン通算7試合1得点でリーグ優勝を経験、シーズン中1月にコロンビアで開催されたUー20南米選手権では17才ながら エースとして異次元のプレーを見せつけ5得点を記録しワールドユース出場権獲得に貢献する。更にシーズン終了後に開催されたワールドユースでは通算6得点で得点王に輝きチームを2大会ぶりの優勝に導き、自身も大会最優秀選手となった。この大会での活躍中、バルセロナとの契約延長が成されているがこの時結んだ新契約の中に違約金1億5000万ユーロ(約200億円)という破格の金額が設定されている。バルセロナ加入後、18才にしてリーグ優勝2回、チャンピオンズリーグ1回の栄光を刻み、世界から高い注目を浴びている。2005年8月17日、ブダペストで行われたハンガリーとの親善試合にてフル代表デビュー(後半途中出場)。だがピッチに立ったその2分後に相手選手にひじ打ちをして一発退場となる不運なデビューもスター候補と言うに相応しい所。その後はコンスタントに出場し2006年3月クロアチア戦にて代表初ゴールも記録、今年のワールドカップアルゼンチン代表には最年少で選出mされている。優勝候補ナンバー1として出場した前回大会では不甲斐ない結果に終わったアルゼンチン。メッシの活躍がアルゼンチンの明暗を分けるというのも過言ではないだろう。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007/01/24

サッカー通信「Man Of The Week 川口

こんにちは。サッカー通信です。今週は「川口」を紹介します。

川口能活国籍:日本ポジション:GK所属クラブ:ジュビロ磐田179cm78kg 1975年8月15日ゴールキーパーとしては、体格に恵まれているとは言えないが、持ち前の瞬発力と、勇敢な飛び出しで、ジーコジャパンのゴールを守り抜いてきたキーパー。現在開催中のWカップでも、初戦でのミスはあったものの、幾多のスーパーセーブを見せ、世界にその存在感をみせつけた。小学校時代からGKとしてプレー、東海大一中を経て名門清水商業高校へ入学すぐに正GKとして活躍し1993年全国高校選手権ではチームを優勝に導いている。1995年横浜マリノスへ入団、同年4月26日柏レイソル戦にてJデビューを果たすと3試合連続の完封勝利を収め不動の地位を確立、ファーストステージ優勝に貢献し更にヴェルディ川崎とのチャンピオンシップでは第1戦、第2戦とも完封勝利に導き年間王座の美酒を味わった。この年の最優秀新人賞であったのは言うまでもない。その後も不動の守護神として活躍し2000年ファーストステージ優勝、そして2001年ナビスコカップ優勝に貢献した後、2001年10月末イングランドへ渡り同年11月3日シェフィールド戦にて海外デビューを飾った。11月25日マンチェスター・シティ戦ではMVPにも選出されるプレーを見せたがその後チームは低迷、その責任は外国人GKである川口にも向けられ序所に出番を失っていく事となる。翌シーズン、チームは躍進しプレミア昇格を果たすが川口に与えられた出場機会は通算1試合、シーズンのほとんどをリザーブリーグで過ごし03/04シーズンより出場機会を求めデンマークリーグへ移籍する事となる。2003年10月5日ヘアフュルヘ戦にてリーグデビュー、エクストラ・ブラデット紙の選出する第11節ベストイレブンにも選出される最高のデビューを飾ったが第12節5失点、第13節に至っては7失点を屈し大敗、ここでも正守護神の座を射止める事が出来なかったのは残念な所である。2005年よりJリーグに復帰、ジュビロ磐田にて以前のパフォーマンスを披露している。アトランタ五輪日本代表として予選9試合に出場し28年振りの出場に貢献、五輪本大会では予選リーグ敗退という残念な結果に終わるも、初戦ブラジル戦では雨のように打たれるシュートに対しファインセーブを連発、その後相手のミスをついて日本が得点を挙げ勝利を掴み「マイアミの奇跡」として今尚語られそして、その主役は川口であった事は誰もが認める所だろう。その後1997年2月13日バンコクで開催されたキングスカップ、スウェーデン戦にてフル代表デビューを果たし以後不動の地位を確立、1998年ワールド杯にて大きな経験を積み2000年アジアカップにて優勝に貢献、翌年コンフェデレーションズ・カップでは準優勝に大きな役割を果たしベスト11にも選出された。しかし、その後海外クラブでの不調が災いしたのか楢崎に正守護神の座を奪われ2002年ワールド杯には1試合の出場も果たせなかった。ジーコ体制となった後2003年3月ウルグアイ戦にて約1年振りの代表戦出場、その後監督の信頼を得て日本代表ファーストGKに返り咲いた。現在開催中のwカップグループリーグ二戦目のクロアチア戦では、0-0で進む試合の中で、DF宮本が与えたPKを見事セーブ。グループリーグ敗退に散った日本代表の中で、唯一獅子奮迅の活躍を見せた。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007/01/23

サッカー通信「Man Of The Week」 エトー

こんにちは。サッカー通信です。今週は「エトー」を紹介します。

サミュエル・エトー 国籍:カメルーン ポジション:フォワード 所属クラブ:バルセロナ 180cm75kg 1981年3月10日生まれ 爆発的なスピードからの豪快なシュートを放つその姿はまるで豹のよう。高い得点能力を持ち、敵ディフェンダーからすれば、世界でもっとも嫌な選手お一人であろう。 97/98シーズン、1年間期限付レンタルにて2部リーグのレガネスへ加入する。その後レアル・マドリードへ復帰するが出場機会に恵まれず、99/00シーズン途中に再びマジョルカへレンタル移籍。ここで13試合に出場し6得点を挙げる活躍を見せると翌00/01シーズンには通算11ゴール6アシストを記録しリーグ3位の好成績に貢献、同時にチーム初となるチャンピオンズ・リーグ出場権を得てサポーターの心を掴んで見せた。01/02シーズンよりチーム最高額となる移籍金(約8億円)で完全移籍を果たしたが、チームは降格争いに加わる低迷を見せ、自身も30試合6得点と期待外れな結果に終わった。しかし、翌02/03シーズンには本来の輝きを取り戻し、新戦力として加わったパンディアーニとのコンビでファンを魅了、通算14得点を挙げる活躍を見せれば国内カップ決勝では2得点を挙げタイトルに大きな役割を果たした。04/05シーズンよりバルセロナへ引き抜かれ、より優れたパサーを得るといきなり24得点を記録しリーグ優勝に貢献、翌シーズンには26得点で得点王に輝くと同時にリーグ連覇を達成させた。また、このシーズンのチャンピオンズ・リーグ決勝では貴重な同点弾を記録するなど14年振りの欧州制覇にも多大なる役割を果たしている。 1997年3月9日、弱冠15才の時コスタリカ戦にて代表デビュー。1998年フランスW杯にて歴代2位の最年少記録で出場を果たすとその後代表の核として君臨、アフリカ選手権2連覇の原動力となった。2000年に行われたシドニーオリンピックでは攻撃的MFとして起用され驚異的なスピードで2列目から飛び出し、果敢な攻め上がりを見せて得点も記録、カメルーンの金メダルに大きく貢献した。2002年ワールド杯でチームは予選リーグ敗退を屈したが、そんな中にあってもズバ抜けたスピードでファンを魅了し1得点1アシストを記録している。2003年コンフェデ杯予選リーグフランス戦で見せた試合を決める素晴らしいドライブシュートは強烈なインパクトを残し、この年のアフリカ最優秀選手選出の決定打となった。また、翌2004年、2005年にも移籍したバルセロナでの活躍が認められ、CAF選出となってからは初となる3年連続で同賞に選出されている。選手としてピークにある今、2006年W杯アフリカ地区予選にてコートジボワールに出場権を奪われたのが非常に残念な所と言えるだろう。

| コメント (0) | トラックバック (0)

サッカー通信「Man Of The Week」 アデバヨール

こんにちは。サッカー通信です。今週は「アデバヨール」を紹介します。
エマニュエル・アデバヨール
国籍:トーゴ
ポジション:FW
所属チーム:アーセナル
190cm76kg
1984年2月26日生まれ

アフリカ人特有の身体能力の高さを持ち合わせ、高さに富む。足元のテクニックも柔軟で、ポストプレーもそつなくこなす。その年齢からも、今後の躍進が期待されるプレーヤーであることは間違いない。
地元のスポルティング・クラブ・ロメでプレーしていた15才の時、スウェーデンで開催された国際ユース大会でのプレーが認められてメツのユースチームへ引き抜かれ、単身でフランスへ渡る。ここで2年間育成された後、01/02シーズン弱冠17才でディビジョン1デビュー、チームは降格を屈したものの、ディビジョン2においてより多くの経験を積むと同時に通算13得点を挙げて1年でのディビジョン1復帰に貢献する。この活躍から一時はサウサンプトンへの移籍話が進むが、契約寸前で当時モナコを率いたデシャンの熱烈なラブコールを受ける格好でこの名門へ移る事となった。ここでも移籍1年目から8得点を挙げる活躍を見せるが、モリエンテスの加入や自身の不振も手伝ってシーズン後半はベンチを温める事が多く、チャンピオンズ・リーグ決勝にまで勝ち進んだ中でも、その舞台に立つ事はなかった。その後は不動の地位を確立させたが05/06シーズン途中、デシャン監督の辞任やフロント陣への不信感から移籍の意思を固め700万ポンドの移籍金でプレミア強豪アーセナルへ引き抜かれる。2006年2月4日バーミンガム戦にてプレミアデビューを果たしこの試合でプレミア初得点をも記録、期待通りのパフォーマンスでチームにとって重要な選手の1人となっている。
代表デビューはW杯アフリカ予選となった2000年7月8日ザンビア戦で弱冠16才の時。その後も序所に出場機会を増やし2002年アフリカ選手権にも出場、また、クラブレベルでの成長もあり若くして不動の地位を確立させた。そして2006年W杯アフリカ予選ではアフリカ地区最多の11得点を記録し母国を初のW杯へ導き国民的英雄となった。本大会では思うような活躍には至らず残念な結果に終わったがこの経験が今後アデバヨールにとって貴重な物となる事に期待したい。

| コメント (0) | トラックバック (0)

サッカー通信「Man Of The Week エッシェン

こんにちはサッカー通信です。今週は「エッシェン」を紹介します。
ミカエル・エッシェン
国籍:ガーナ
ポジション:MF
所属チーム:チェルシー
180cm77kg。1982年1月28日アフリカ人特有の素晴らしい身体能力を備え、豊富な運動力と強靱なフィジカルによって好守に絶大な存在感を示すガーナ代表MF。本来セントラルMFのポジションを本職とするも両サイドからセンターバックまで高いレベルでプレー出来るオールラウンダーでもある。サッカープレーヤーであった父親の影響からサッカーに興味を持ち少年時代は元フランス代表MFカントナに憧れを抱きながら地元リバティー・アクラにて本格的にキャリアをスタートさせる。1999年Uー17世界選手権にて代表メンバーに加わり5試合に出場、卓越した能力を見せ3位に貢献した事で、マンチェスター・Uへの加入が現実味を増すが、就労ビザが下りず断念する事となる。2000年7月、フランス中堅チームであるバスティアへ加入しプロ契約。18才でトップデビューを果たすと、その後は主力として活躍、当初はライトバックとしてプレーし、その後レフトバックからセンターバック、更にはセントラルMFと、ポジションを移し大きな経験を得る事に成功、01/02シーズンにはフランスカップ決勝進出に貢献した事で知名度は日々を追って増す事となる。02/03シーズン終了後、リヨンとパリSGの獲得合戦の末バスティア史上最高額となる780万ユーロにてチャンピオンチームであるリヨンへ引き抜かれるがここでもすぐに不動の地位を確立、34試合に出場し自身初のリーグ優勝を達成させ、翌04/05シーズンにもリーグ連覇、更にシーズンを通して見せたパフォーマンスが評価されフランスリーグ最優秀選手にも選出された。このシーズン、ただ1つ悔いが残るとすればチャンピオンズ・リーグ準々決勝、PK戦までもつれたPSV戦において、このPKを外し、チームも破れてしまった事だろうが、これも自身にとって大きな経験となったのは間違いない所であろう。シーズン終了後の2005年8月、フランスリーグでは最高額となる3800万ユーロ(約51億円)にてプレミア強豪チェルシーへ引き抜かれ同月21日アーセナル戦にてプレミアデビュー、今では必要不可欠の選手となっている。ガーナ代表としては、先にも述べたUー17代表での活躍後2001年ワールドユースでは全7試合に出場、グループリーグ初戦となったパラグアイ戦においてチームのファーストゴールを記録し翌年のアフリカ選手権初戦モロッコ戦にてフル代表デビュー。06年ワールドカップではブラジルの前に16強に散ったが、今後のガーナ飛躍の鍵は彼が握っているといっても過言ではないだろう。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007/01/22

サッカー通信「Man Of The Week チアゴ

こんにちは。サッカー通信です。今週は「チアゴ」を紹介します。

チアゴ
国籍:ポルトガル
ポジション:MF
所属クラブ:リヨン
1981年5月2日
183cm79kg

豊富な運動量で攻守に渡り活躍するポルトガル代表MF。展開力、ボール奪取率とボランチに必要な要素をすべて兼ね備えるほか高い得点能力も魅力の1つ、90年代ポルトガル代表を支えたパウロ・ソウザの再来として高く評価されている。地元のヴィアネンセというクラブの下部組織で本格的にサッカーを始め18才の時スポルティング・ブラーガにてプロデビューを果たす。デビュー2年目となった00/01シーズン、チームのリーグ4位躍進に大きな役割を果たし脚光を浴びると翌シーズン途中国内ビッグクラブへの移籍話が本格化、当初ポルトへの加入が濃厚かと思われたが監督がモウリーニョに代わった事で白紙となり一転ベンフィカへの移籍が決定した。加入後すぐに主力となり02/03シーズンには自身最多の13得点を記録、翌03/04シーズン国内カップでは準々決勝、準決勝と2戦連続貴重なゴールを記録し、クラブにとっては8シーズン振りのタイトル獲得に大きく貢献した。ベンフィカでの成長はチェルシーの新監督となったモウリーニョの目にもとまり1200万ユーロ(約15億円)でイングランドへ渡る。2004年8月21日バーミンガム戦にてプレミアデビューを果たすと通算34試合(24試合スタメン)に出場し50年振りのリーグ制覇に貢献、シーズン終了後の移籍市場においてエッシェンと入れ代わる形でイングランドを去るが、新天地となったフランスでもエッシェンの穴を埋めるに相応しい活躍を見せてリーグタイトルを獲得し、母国での国内カップから数え3年連続して別々のチームでクラブタイトルを手に入れる。代表デビューは2002年11月20日スコットランド戦。2004年欧州選手権ではメンバーに選出、出場機会こそ無かったが、その後この経験を活かし着実にチームの中で重要性を高める事に成功すると2006年W杯では、これまで通算5試合に出場しベスト4進出の原動力となって活躍した。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007/01/21

サッカー通信「Man Of The Week ロシツキー

今週は「ロシツキー」を紹介します。サッカー通信へのご感想やご希望もお待ちしております。どしどしお寄せください。

トーマス・ロシツキー国籍:チェコポジション:MF 所属クラブ:アーセナル178cm67kg 1980年10月4日生まれ足元の技術に加え、スピード、パス、中盤の選手に必要な能力を全て高いレベルで備え持つ。チェコのモーツアルトと呼ばれる彼のプレーは、見るものを魅了する。ワールドかカップ初戦のアメリカ戦では大会ベストゴール候補にもはいるであろう、すばらしいミドルシュートを叩き込んだ。チェコ名門スパルタ・プラハの選手であった父親の影響でサッカーを始め幼年期からサッカーを始める。兄がプレーしていた地元コンプレソリーで本格的に取り組むようになり1998年に夢であったスパルタ・プラハへ入団、加入後すぐに中心選手として活躍するようになる。リーグ優勝はもとより、過去2回のチャンピオンズリーグでの活躍によって注目を集めるようになり、インテル、バイエルン、アーセナルなどのビッグクラブからオファーが殺到するようになるが00/01シーズン途中、当時ドイツ外国人最高の移籍金2500万マルク(約14億円)でドルトムントへ移籍する。2001年2月2日1860ミュンヘン戦にてブンデスリーガデビュー、移籍当初は経験の少なさを指摘する声も多かったが、それを補うだけのテクニックとパフォーマンスを見せゲームメーカーとしての役割を果たし、2000年春に移籍してしまったアンドレアス・メラ-の後継者に相応しい活躍を見せると、 01/02シーズンには同郷のヤン・コラーやブラジル代表アモローゾなどの FWの加入もあってそのパスは輝きを増し、このシーズンのリーグ優勝に大きく貢献して見せたのである。また、2001年から2年連続してチェコ最優秀選手にも選出された。その後チームの財政難や自身の怪我、更には本来のポジションではない右サイドでのプレーを強いられるなど不運も経験したが、04/05シーズンより監督に就任したファンマルバイクの元で復調、改めて存在の大きさを示すようになり、05/06シーズン終了後にはプレミア強豪アーセナルへ引き抜かれた。ドイツで学んだ数多き経験をここで活かし更に飛躍して欲しい所である。2000年2月23日アイルランド戦にて代表デビューを果たし、素晴らしい攻撃陣を誇るチェコ代表において瞬く間に不可欠な存在になる。2002年W杯出場を逃したのは残念であったが、2004年欧州選手権では4試合に出場しベスト4進出に貢献、中でもグループリーグオランダ戦の逆転劇は彼の活躍による所が大きかったであろう。2006年W杯欧州予選での活躍も素晴らしく、ノルウェーとのプレーオフ第2戦では本大会出場を決定付ける決勝点を挙げるなど予選を通し通算7得点を記録している。ワールドカップで大きな成果を残せていないチェコ代表だが、今大会は大躍進を見せるように思うには私だけではないだろう。

| コメント (0) | トラックバック (0)

サッカー通信「Man Of The Week ガットゥーゾ

こんにちは。サッカー通信です。今週は「ガットゥーゾ」を紹介します。ジェンナーロ・ガットゥーゾ国籍:イタリアポジション:MF所属クラブ:ACミラン177cm77kg 1978年1月9日ピッチ上を無尽の体力で走り回り、的の攻撃の芽を早い段階から摘む。プレッシングの速さにも定評があり、敵チームにとってはとても厄介な存在。たまに熱くなって、己を見失うこともあるが、それも彼らしさのひとつであろう。13才の時、ペルージャの下部組織に加入し1994年に当時セリエBにあったペルージャとトップ契約を果たす。その後A昇格を果たした96/97シーズン12月のボローニャ戦にてセリエAデビュー、少ない出場ながら、その激しいプレースタイルによって人々に印象付け、リンギオと呼ばれるようになる。97/98シーズンにはスコットランド強豪レンジャーズへ移籍、レギュラーとして7得点を挙げるなど活躍した後、再びセリエAへ復帰、サレルニターナではB降格の不運を経験するもその闘争本能を高く評価するクラブが数多く獲得に動き、1999年よりミランへ加入する。以後中盤の潰し屋として貴重な戦力となり02/03シーズンにはチャンピオンズ・リーグ、コパイタリアの2冠に大きく貢献、翌03/04シーズンにはスクデット獲得にも大きく貢献して見せた。今やマルディーニの後を継ぐキャプテン候補である。Uー21代表として活躍した後、2000年2月23日スウェーデン戦にてフル代表デビュー、同年11月に行われたイングランドとの親善試合では右足から貴重な決勝弾を挙げ1ー0の勝利に貢献、大きく注目された。2002年ワールド杯メンバーにも選出され途中出場ながら2試合に出場、現在は主力の1人として認められており、その闘争心はイタリア代表にとって不可欠である。9日の決勝戦、彼の働きがチームの命運を左右するといっても過言ではないだろう。

| コメント (0) | トラックバック (0)

サッカー通信「Man Of The Week 中田英寿 

こんにちは。サッカー通信です。今週は「中田英寿」を紹介します。サッカー通信へのご意見やご要望もお待ちしております。info@kwow.jp (タイトルに「サッカー通信」と明記お願いします)

中田英寿
国籍:日本
ポジション:MF
所属クラブ:ボルトン
1977年1月22日
175cm72kg

強靭なボディバランスは世界でもお披露目済み。冷静なゲームメイクで試合を進め、豊富な運動量で中盤を支配する。日本代表のW杯敗退後、引退を表明し日本中を騒がせたが、彼の日本サッカーへの貢献度は計り知れないものがあったことは言うまでもないだろう。
1998年W杯、日本は3戦3敗という不本意な結果に終わりながらも中田のテクニックの高さ世界の注目を集め大会終了後ペルージャに移籍、日本人としてはカズに次ぐ2人目のセリエAプレーヤーとなる。しかしイタリアは元より日本でもセリエA移籍に対する評価はそれほど高くはなかったが、その評価が間違いである事を証明するのに時間はかからなかった。セリエAデビューとなった1998年9月13日ユベントス戦、いきなり強豪相手に2ゴールをマークし脚光を浴びると、その後も多彩なゲームメイクを披露しチームの中心的存在として活躍、最終的にこのシーズン10得点を記録しパサーとしての能力以上に得点能力までも開花させた。この活躍によって99/00シーズン途中にローマへ移籍するが同じポジションにトッティというローマ生え抜きのスター選手がいたため、ボランチという不慣れなポジションでのプレーを余儀無くされ、更に途中加入という事もあって、このシーズンは活躍するに至らなかった。迎えた00/01シーズン、外国人枠によってベンチにすら入れない日々も続き、中田自身にとって試練の時を過ごす事となるのだが、シーズン途中の外国人枠撤廃によって出場機会が増えこのシーズンの
スクデット獲得を語る上で最も重要であった試合の主人公となる事となる。ユベントスとの天王山、前半にジダンのゴールなどで0ー2となり敗色濃な試合展開、しかし後半15分、トッティと交代でピッチに現れた中田は1得点1アシストを記録、勝ちに等しい同点劇を演じ、まさにそれは、地元メディアが賞賛した「神が現れた」と言う言葉に相応しい活躍であった。このシーズン終了後、コンスタントな試合出場を求めパルマへ移籍。背番号「10」の期待を背負っての移籍であり誰もが認める実力はパルマにて更なる飛躍に繋がると信じて疑わなかったが、思わぬチームの不振から自身も本来の調子を戻す事なくシーズンを終えてしまう。(唯一の救いはコパ・イタリアにて優勝した事)続く2シーズン目、クラブの大黒柱F・カンナバーロ、ディバイオ等の
放出からクラブは若い選手を中心としたチームに生まれ変わり、リーグでの躍進は難しいかとも思われたが、シーズン序盤に右サイドアタッカーにコンバートされると再びそのプレーに輝きを取り戻し、中央にアドリアーノ、左にムトゥ、そして右に中田と強力な3トップぎみの攻撃布陣を形成、本来のトップ下としてのプレーは認められなくとも、献身的な動きでチームの躍進に貢献した。しかし03/04シーズンに入り、マルキオンニの成長から出場機会は激減、更にクラブの財政難も重なり、ペルージャ時代の恩師マッツォーネ率いるボローニャへレンタル移籍、ここでは降格危機にあったボローニャを救う活躍を見せた。シーズン終了後、A復帰を果たした名門フィオレンティーナへ移籍したがここでもチームの調子は上がらず、大きな期待を背負って入団した中田に対する批判は相当なものであった。シーズン終了後、数年前から視野に入れていたプレミアリーグ移籍を果たした。
代表デビューは1997年5月21日韓国戦。以後日本は中田を中心としたチームを形成、1998年ワールド杯でこそ不本意な結果に終わるも自身は素晴らしい能力を示し、ここでのプレーが認められた形でイタリアへ渡った。2002年ワールド杯でも抜群の存在感を見せ、最大の目標であった決勝トーナメント進出の原動力となった。(全4試合1得点)しかし、その後クラブレベルでの不調から代表を離れ、その間日本代表はアジアカップを制するなど国内では中田不要論まで飛び出す始末、そんな逆境を自らのプレーで示したのが2006年W杯アジア予選、中盤の指揮官として幾度となくチャンスを演出し、抜群の存在感でチームを牽引、時にはチームメイトを叱咤し自ら悪者も買って出てすべてを代表のために捧げ、本大会出場権獲得に大きく貢献して見せたのである。迎えた本大会では随所に素晴らしいプレーを見せながらチームはグループリーグ敗退、最終戦となったブラジル戦に敗れた後ピッチから立ち上がれず涙を拭う姿は印象的であったが、その後発表される「現役引退」という衝撃的ニュースであの涙の全貌が明らかになった・・。

| コメント (0) | トラックバック (1)

サッカー通信「Man Of The Week リベリー

こんにちは。サッカー通信です。今週は「リベリー」を紹介します。
フランク・リべり
国籍:フランス
ポジション:MF、WG
所属クラブ:マルセイユ
170cm62kg
1983年4月1日生まれ

彼の魅力と言えばなんと言っても、サイドからのドリブル突破。類まれなスピードと巧みな足技で、敵DFを切り崩す。その能力はW杯でもお披露目済み。今後のフランス代表を支えていく選手の一人である。

若手育成機関として名高いリールのユースレベルで育つも学業不振から故郷へ戻り地元クラブでプレー、その後アレス、ブレストといった3部リーグでの活躍からリーグアンのメツへ引き抜かれた。2004年8月7日ナント戦においてリーグアンデビューを果たすと抜群のポテンシャルでファンを魅了、第3節リヨン戦では初得点を挙げこれが決手となり、いきなりの月間MVPに選出された。その後も21才の若さでチームを牽引し活躍、1月までにリーグトップの8アシストを記録していたがチーム首脳陣との約束(昇給)が無されなかった事を理由に冬の移籍市場にてガラタサライへ移籍する事となる。トルコリーグでも瞬く間にチームにフィットすると国内カップ優勝に貢献し自身にとっても初となるクラブタイトルを獲得、決勝フェネルバフチェ戦では貴重な先制弾も記録している。シーズン終了後、メツ時代の恩師であるジャン・フェルナンデスの誘いを受けフランス名門マルセイユへ加入するが、そのプレーは更に輝きを増し2005年10月、11月、2006年4月と3度のリーグ月間MVPを獲得し、更にはこのシーズンのリーグ最優秀若手プレーヤーにも輝いた。この活躍により世論を味方に付け2006年5月、ようやくフランス代表に選出され同月27日のメキシコ戦にてデビュー、この試合を含めたW杯テストマッチ3試合で好パフォーマンスを披露しW杯メンバーにも選出されれたのである。更に本大会ではデビュー間もないにも関わらず全7試合に出場し準優勝に貢献、決勝トーナメント1回戦スペイン戦では貴重な同点弾も記録した他、各試合で見せる魅力あるプレーは世界中にその名を知らしめるに十分なものであった。

| コメント (0) | トラックバック (0)

Man Of The Week ルイス・ガルシア

こんにちは。サッカー通信です。今週は「ルイス・ガルシア」を紹介します。

ルイス・ハビエル・ガルシア
国籍:スペイン
ポジション:FW、MF
所属チーム:リヴァプール
176cm74kg
1978年6月24日生まれ

縦への突破力に優れ、内に切れ込んで放つシュートも強烈、本来左利きながら右足にも強烈かつ繊細なテクニックを持ち、更にセンターFWからウィングに至るまで攻撃的ポジションならどこでもプレーできるスペイン代表。

地元バルセロナ近郊にある少年サッカーチームにおいて育成された後地元バルセロナFCへ引き抜かれる。下部組織の各カテゴリーを経験し97/98シーズンより2シーズンはバルセロナBにて得点を量産、クラブの将来を担う選手として期待されるが、更に経験を積ませるためにバジャドリードへ移籍、ここで1999年8月22日ヌマンシア戦にて祈願のリ-ガデビューを果たしている。その後2部リーグにあったテネリフェへ移籍、ここで名将ベニテス監督と出会いウィングとして活躍、得点も16ゴールを挙げてチームの1部昇格に大きな役割を果たした。ここで積んだ大きな経験によりバジャドリード、A・マドリードでも十分な活躍を見せて、ついに故郷バルセロナへ呼び戻された。2003年10月バレンシア戦にてバルセロナの一員として初めてカンプ・ノウのピッチに立ち夢を実現させると、中盤戦以降の連勝街道にも大きく貢献、その名を知らしめる事に成功した。翌04/05シーズンもバルセロナにとって重要な戦力と見られていたがこのシーズンよりプレミアリーグ名門リバプ-ルの指揮をとる事になった恩師ベニテスのラブコールを受け、約12億円という移籍金で引き抜かれる。チームの象徴的存在であったオーウェンの背番号10を引き継ぎ、2004年8月29日ボルトン戦にてプレミアデビュー、チャンピオンズ・リーグ決勝トーナメント1回戦レバーク-ゼン戦ではホーム、アウェイ共に得点(通算3得点)を挙げ勝利に貢献するなど真価を発揮し、この大会の優勝に無くてはならない存在であった。

フル代表とは長い間無縁であったがリバプールでの成功により2005年3月26日中国との親善試合にて初キャップを刻んだ。その後もコンスタントに召集され2006年W杯メンバーにも選出、今後の活躍に期待したい所である。

| コメント (0) | トラックバック (2)

2007/01/20

サッカー通信「Man Of The Week カカ

こんにちは。サッカー通信です。今週は「カカ」を紹介します。

リカルド・イゼクソン・サントス 国籍:ブラジル ポジション:MF 所属チーム:ACミラン 184cm76kg 1982年4月22日 彼の魅力はなんと言ってもその得年能力の高さである。いわゆる1,5列目からの飛び出しでネットを揺らす。テクニック、ボール供給能力もワールドクラスで、現在世界NO.1MFと言っても過言ではないだろう。 9才の時、サンパウロ FC のジュニアチームに加入、その後各年代のユースチームにて技術に磨きをかけると2001年3月1日のリオ・サンパウロ州大会決勝第2戦ボタフォゴ戦にてデビュー、後半からの出場にも関わらず立て続けに2得点を挙げて、チームを初優勝へと導き一躍スターダムに伸し上がった。翌シーズンにはレギュラーの地位を確立、サンパウロの元スタープレーヤーであり元ブラジル代表キャプテンでもあったライーの再来として君臨し活躍した後、元ミランのレオナルドの仲介からセリエA強豪ミランへと引き抜かれた。当初周囲からはレギュラー格と思われていなかったが、アンチェロッティ監督の評価は非常に高く、開幕戦アンコーナ戦から出場機会に恵まれると高い能力を披露、その後完全にレギュラーの座を獲得すると第5節ミラノダービーにて初得点、その名は瞬く間にワールドクラスとなったのである。このシーズンのリーグ優勝の最大の貢献者となりイタリア選手協会により選出される2004年最優秀選手賞に選ばれた。 2001年ワールドユース、ハイレベルなプレーを見せ注目を浴びその後の国内リーグでの活躍もあって2002年1月31日ボリビア戦にてフル代表デビューを果たし、デビュー2戦目となるアイスランド戦では早々と初得点も記録、2002年ワールド杯のメンバーに名を列ねる事に成功した。本大会では消化試合となった予選グループ3戦目コスタリカ戦にのみ出場、この経験がその後のカカにとって大きな財産となる事となる。2003年9月にスタートした2006年ワールド杯南米予選第1節、アウェーで行われたコロンビア戦では貴重な決勝弾を記録し2ー1の勝利に大きな役割を果たし、この南米予選中にロナウジーニョ等と共に破壊力抜群の布陣を確立、予選通算15試合に出場し本大会出場権獲得に貢献して見せた。迎えた本大会では優勝候補の筆頭に挙げられながらもベスト8に止まった。彼自身も随所にファンを魅了するプレーを見せたものの、完全燃焼とは言い切れないパフォーマンスであった。その年齢を考慮しても、まだまだ成長の期待できるプレーヤーである。将来のカナリア軍団を担うこの選手から目が離せない。

| コメント (0) | トラックバック (0)

サッカー通信「Man Of The Week」 「フレッジ」

こんにちは。サッカー通信です。今週は「フレッジ」を紹介します。
フエデリコ・チェヴァス・グエデス
国籍:ブラジル
ポジション:FW
所属チーム:リヨン
190cm90kg
1983年10月3日
類まれな得点感覚で多彩なシュートを決めるブラジル代表FW。ヘディングにも定評があり、空中戦も得意とする。その年齢を考えても今後のセレソンを支えていく選手の一人である。
ミナスジェライス州北東の都市テオフィロ・オトーニに生まれ少年時代のアイドルはロナウド。18才で2部のアメリカに加入し2003年のユース大会でキックオフ直後センターサークルから放ったロングシュートを決めて一躍脚光を浴びる。(このシュートはフレッジオフィシャルで確認出来ます。)大会後トップチームへ昇格し約1年半の間に30得点以上を記録、この活躍から2004年7月に名門クルゼイロへ引き抜かれると全国選手権ではシーズン途中加入ながらチーム最多の14得点、更に州選手権では12ゴールで得点王にも輝いた。翌シーズンにも勢いは衰えず全国選手権15節までに10得点を叩き出していたが、欧州開幕後の8月、フランス強豪リヨンへ約20億円で引き抜かれる事となる。2005年9月10日モナコ戦にてフランスリーグデビューを果たすとこの試合で2得点を挙げる鮮烈なデビュー、その後も着実にゴール数を伸ばし最終節にはハットトリックまでも達成、通算チーム最多の14得点を記録しリーグ優勝の原動力となって見せた。現在熾烈な戦いが繰り広げられているチャンピオンズリーググループ予選でもチームのエースとしての活躍を見せている。
ブラジル代表デビューは2005年4月27日グアテマラ戦。この時のプレーで代表監督パレイラの信頼を勝ち取り、R・オリヴェイラの負傷も手伝って2006年W杯メンバーにも選出されるとグループリーグ第2戦オーストラリア戦では得点も記録するなど能力の高さを証明している。

| コメント (0) | トラックバック (1)

2006/12/26

サッカー通信「Man Of The Week」(★今週は「グルキョフ」

嘯氣堂の応援するJapanese Art Event SEEDSTokyoImpact12月9日の熱狂画像
http://kw.cocolog-nifty.com/photos/seeds_tokyo_impact_tsubak/

こんにちは。サッカー通信です。今週は「グルキョフ」を紹介します。

ヨアン・グルキョフ
ポジション:MF
国籍:フランス
所属チーム:ミラン
185cm79kg
1986年7月11日生まれ

年齢に似合わぬ落ち着いたプレースタイルに加え素晴らしいテクニックと広い視野を駆使してゲームメーカーとしてチームを牽引、母国では「リトル・ジダン」とまで称され、次代のファンタジスタ候補の一人として期待される。

元サッカー選手であり監督としても手腕を振るうクリスティアン・グルキュフの息子として生まれ、当時父親が監督を勤めたロリアンのユースチームにて育成される。2001年、父親がレンヌの指揮官となると同時にレンヌのユースチームへ移り、ここで頭角を現していく。父親がチームを去った後もレンヌにとどまると2004年2月7日第23節オセール戦にてディビジョン1デビュー、同郷のFWピキエンスに代わってわずか20分のプレーであったが、弱冠17才とは思えぬプレーは将来を予感させるものであった。デビューシーズンは9試合に出場、翌シーズンより主力としてプレーしチームの4位躍進に貢献すると翌05/06シーズンから背番号10を背負い活躍、UEFAカップで欧州カップデビューを果たし全5試合で経験を積むと国内リーグ3月の月間最優秀選手(フランス・フットボール誌)にも選出された。この活躍から欧州中が注目する存在となりアーセナルやユベントスといったビッグクラブの獲得争いの末ミラン入りを実現、更に加入後のトレーニングキャンプでアンチェロッティの信頼を勝ち取る事に成功し8月9日チャンピオンズ・リーグ予備予選3回戦対ツルベナにおいて公式戦デビューを果たした。そしてヨアン・グルキュフの名を一躍広める事となる9月13日チャンピオンズ・リーググループリーグ開幕AEKアテネ戦にてスターティングメンバーに名を列ねると随所にポテンシャルの高さを見せてファンを魅了、前半終了間際にはカカのクロスに合わせ豪快なヘディングから得点までも記録したのである。将来有望な選手としてこれ以上ない好スタートをきったと言え、豊富な人材が揃うチームにおいても多くの出場機会に恵まれる事だろう。2006年9月20日第3節アスコリ戦セリエAデビュー。

フル代表デビューはまだ果たせていないが、Uー21代表としてプレーしており、2005年にオランダで開催されたUー19欧州選手権ではノルウェー戦でのハットトリックを含む通算4得点で優勝に貢献、近い将来フル代表でもチャンスが訪れるのは間違いないだろう。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006/11/28

サッカー通信「Man Of The Week」/KW★今週は「フレブ」

こんにちは。サッカー通信です。今週は「フレブ」を紹介します。
※11月25日に配信事故がありましたので再送いたします。ご迷惑をおかけしました※

アレクサンドル・フレブ
ポジション:MF
国籍:ベラルーシ
所属クラブ:アーセナル
185cm72kg
1981年5月1日生まれ

その卓越したドリブルテクニックは、世界トップレベル。クリスチアーノ・ロナウドのも引けをとらない足技を持つ。それに加え、パスセンスや、ゲームメイクの能力も群を抜くものをもち、今、最も注目を受ける選手の一人である。

アレクサンドル・フレブはBATEボリソフにてキャリアをスタートさせ1999年のリーグ優勝を経験、翌年にギリシャの名門AEKアテネから約120万マルクのオファーを受けるが、時を同じくして約30万マルクのオファーを出したシュツットガルト行きを決断、当時シュツットガルトには欧州屈指のゲームメーカー、バラコフがいたため彼と共にプレーする事に憧れての決断であったらしい。2000年9月5日のカイザースラウテルン戦にてブンデスリーガデビューを果たしこのシーズン通算6試合に出場、翌シーズンより不動の地位を確立させ母国ベラルーシの最優秀選手に選出された。02/03シーズンには全試合に出場し4得点7アシストの活躍、チームをリーグ2位に導きチャンピオンズ・リーグ出場権獲得に大きく貢献、初となる2年連続ベラルーシ最優秀選手にも選出される。この約2年間で大きく才能を開花させたフレブにとって最も大きな存在であったバラコフが02/03シーズンを最後に現役を引退、その後フレブにかかる重責は大きいものとなるが、その技術を持ってチームを牽引し更なる飛躍を遂げ、05/06シーズンよりプレミア強豪アーセナルへ引き抜かれ、1年目にして誰もが憧れるチャンピオンズ・リーグファイナルの舞台に立った。

Uー18ベラルーシ代表で活躍した後2001年10月6日ウェールズ戦にて後半途中より代表デビューを飾る。その後は言うまでもなく不動の地位を築くがベラルーシ代表であるだけに国際舞台において活躍するには難しいと思われるのは残念な所である。

| コメント (0) | トラックバック (0)

サッカー通信「Man Of The Week」フレブ

毎週、世界のサッカー選手を紹介する、サッカー通信「Man Of The Week」、メールで読むには、mg-176@kwow.jpに 空メールを

アレクサンドル・フレブ
ポジション:MF
国籍:ベラルーシ
所属クラブ:アーセナル
185cm72kg
1981年5月1日生まれ

その卓越したドリブルテクニックは、世界トップレベル。クリスチアーノ・ロナウドのも引けをとらない足技を持つ。それに加え、パスセンスや、ゲームメイクの能力も群を抜くものをもち、今、最も注目を受ける選手の一人である。

アレクサンドル・フレブはBATEボリソフにてキャリアをスタートさせ1999年のリーグ優勝を経験、翌年にギリシャの名門AEKアテネから約120万マルクのオファーを受けるが、時を同じくして約30万マルクのオファーを出したシュツットガルト行きを決断、当時シュツットガルトには欧州屈指のゲームメーカー、バラコフがいたため彼と共にプレーする事に憧れての決断であったらしい。2000年9月5日のカイザースラウテルン戦にてブンデスリーガデビューを果たしこのシーズン通算6試合に出場、翌シーズンより不動の地位を確立させ母国ベラルーシの最優秀選手に選出された。02/03シーズンには全試合に出場し4得点7アシストの活躍、チームをリーグ2位に導きチャンピオンズ・リーグ出場権獲得に大きく貢献、初となる2年連続ベラルーシ最優秀選手にも選出される。この約2年間で大きく才能を開花させたフレブにとって最も大きな存在であったバラコフが02/03シーズンを最後に現役を引退、その後フレブにかかる重責は大きいものとなるが、その技術を持ってチームを牽引し更なる飛躍を遂げ、05/06シーズンよりプレミア強豪アーセナルへ引き抜かれ、1年目にして誰もが憧れるチャンピオンズ・リーグファイナルの舞台に立った。

Uー18ベラルーシ代表で活躍した後2001年10月6日ウェールズ戦にて後半途中より代表デビューを飾る。その後は言うまでもなく不動の地位を築くがベラルーシ代表であるだけに国際舞台において活躍するには難しいと思われるのは残念な所である。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006/11/04

サッカー通信:イアキンタ

こんにちは。サッカー通信です。今週は「イアキンタ」を紹介します。

ヴィンツェンツォ・イアキンタ
国籍:イタリア
ポジション:FW
所属クラブ:ウディネーゼ
187cm77kg
1978年11月21日

その長身を生かしたポストプレーはまさに絶妙。頭、両足で点を取れるストライカーであり、容貌からは想像できないテクニックも兼ね揃えている。

ヴィンツェンツォ・イアキンタは自身がまだ学生時代の96/97シーズン、地域リーグ(ディレッタンティ)のレッジョーロにてトップデビューを果たした。翌シーズン途中セリエBパドヴァにおいて本格的にプロキャリアをスタートさせ00/01シーズンよりウディネーゼへ引き抜かれた。2000年10月1日ブレッシャ戦にてセリエAデビューを果たすとこの試合でセリエA初得点も記録。その後シーズンを重ねる事に能力を開花させスパレッティ監督の戦術になくてはならないプレーヤーへと成長していく。03/04シーズンに自身初の2桁得点を記録すると翌シーズンには13得点を記録、イアクインタ、ディ・ミケーレ、デ・ナターレの3トップに加えMFピサーロ等と共に形成された攻撃陣によってチームを4位に躍進させた。迎えた翌05/06シーズンは欧州カップとの兼ね合いもあり本領を発揮する事は出来なかったが、チャンピオンズ・リーグ予備予選スポルティング戦ではホームアウェイ共にゴールを記録して本戦出場に貢献すると、迎えたグループリーグ初戦パナシナイコス戦にてハットトリックまでも達成し、その名を世界中に知らしめている。

セリエAにおいて存在感を示した事で当時代表監督であったリッピの目にもとまり2005年3月30日アイルランド戦において26才と遅咲きの代表デビュー、以後代表に定着する。翌年ワールド杯ではヴィエリの故障によってメンバーに選出、デビュー以来10試合以上に出場しながら無得点と結果の出せていなかったイアクインタの選出に疑問の声も上がったが迎えたワールド杯初戦ガーナ戦において勝利を決定付ける代表初得点を記録しリッピの信頼に応えて見せた。その後もすべて途中出場ながら通算5試合に出場、優勝メンバーの一員として歴史に名を残したのである。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006/10/07

サッカー通信:ダウニング

こんにちはサッカー通信です。今週は「ダウニング」を紹介します。
スチュワート・ダウニング
国籍:イングランド
ポジション:MF
所属クラブ:ミドルズブラ
180cm64kg
1984年7月22日生まれ

左足の正確なクロスの精度はプレミアリーグでも屈指と称され、テンポの良いドリブル突破も魅力、今後イングランド代表左サイドを担う事が期待される。

ダウニング自身生まれも育ちもミドルスブラである事から幼い頃から生粋のミドルスブラファンであり、このチームの育成機関で育つ。2001年9月にトップ昇格を果たし夢を現実にすると翌年4月24日イプスウィッチ戦にて弱冠17才でプレミアデビューを果たした。翌02/03シーズン10月のリーグカップブレントフォード戦にてプロ初得点も記録するが、若いダウニングに多くの出場機会は与えられず、03/04シーズン途中約1ケ月半のレンタルにて下部リーグのサンダーランドへ移籍、ミドルスブラと同じノースイースト地方のライバルチームであった事からダウニングにとっては「屈辱的レンタル」という事になるが、この鬱憤はプレーによって発散、わずか7試合の出場ながら貴重な勝点につながる3つのゴールを記録して見せたのである。この活躍から12月にミドルスブラへ呼び戻されると序所に出場機会を増やし04/05シーズンにはレギュラーの地位を確立させただけでなく、チーム最多の9アシストを記録するなど中心的存在となって活躍、瞬く間にミドルスブラのアイドルとなったのである。飛躍が期待された翌05/06シーズンは怪我によりシーズンの半分を棒に振ったが、復帰後は改めてポテンシャルの高さを示した。今後は常にその実力を発揮出来る「安定感」さえ磨けば世界有数のレフティとなれるであろう。

代表としてはUー21代表(7試合出場)として活躍した後クラブでの活躍からエリクソン代表監督の目にとまり2005年2月9日オランダ戦にてデビュー、その後怪我によって長期リハビリを強いられるが、この怪我を克服しW杯を前に代表にも復帰、2006年W杯メンバーにも名を列ね途中出場ながら3試合に出場を果たし大きな経験を手に入れた。大会後、マクラーレン新体制となった初戦ギリシャ戦でも先発に名を列ね恩師(ミドルスブラ時代の監督)の初采配勝利に貢献している。

| コメント (0) | トラックバック (0)