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2006/10/11

蹴球人:三浦と藤田

こんにちは、サッカー情報です。
■心に残る、日本人選手は誰ですか?理由も教えてください。→ info@kwow.jp

本日、10月11日に、86回天皇杯全日本選手権の4回戦以降の組み合わせが発表されました。11月4日のキックオフが待ち遠しいですね。それでは、蹴球人さんのコラムです。

皆さんこんにちは。蹴球人です。

10月7日、名古屋市瑞穂陸上競技場。Jリーグ第26節、名古屋グランパスエイト対FC東京。将来の日本代表のエースストライカーとの期待を一身に集めるFC東京・平山相太の記念すべきJ初ゴールが生まれました!…が今日の話題の中心はさにあらず。その影で、30代以上のサッカーファンの心をくすぐるマッチアップがなされていたのです。両チームの背番号10をつけたベテランJリーガー2人の名を聞いて、胸を熱くさせる方も多いでしょう(ちょっと大袈裟?)。

FC東京・三浦文丈と名古屋グランパスエイト・藤田俊哉。そう、2人はともに1988年(昭和63年)、第67回全国高校サッカー選手権大会で優勝した、静岡市立清水商業高等学校のメンバーなのです。一方の三浦は1970年生まれで当時3年生(キャプテン)、他方の藤田は当時2年生。両名とも優勝に大きく貢献し、大会ベストイレブンに選ばれました(三浦はMVP)。その後、1年違いで2人とも筑波大学に進学し、三浦は1993年に横浜マリノス(当時)、藤田はその翌年にジュビロ磐田でそれぞれJリーグへ。ともにサッカーのエリートコースを歩んできた2人ですが、このあたりから少し道が分かれ始めます。

三浦は2年目にはJリーグ優勝を経験するなど当初は主にFWとして活躍しましたが、徐々に出場機会を失い、その後京都へ移籍。さらに藤田と同じ磐田に移籍するも、大きな活躍はできませんでした。しかし、この頃からボランチでのプレーを覚え、その後移籍したFC東京でプレーの幅を広げ、地道に貢献し続けています。

藤田はというと、磐田入団後も中山、名波らとともにジュビロ黄金時代を築き上げ、順風満帆といえるサッカー人生を歩いてきました。磐田在籍中に半年間の期限付きで移籍したFCユトレヒト(オランダ)でも、中心選手として活躍し、ユトレヒトから契約期間延長のオファーを受けたほどでした。日本代表での成績は大きく目立つものはありませんが、W杯ドイツ大会のアジア1次予選、シンガポール戦での値千金のゴールは、あれがなかったら日本のドイツ行きはなかったかも、と言われています。そんな藤田も近年は成岡らの成長やチームのビジョンとの兼ね合いもあってだんだん磐田での出場機会が減り始め、ついに昨年、名古屋へ移籍することになりました。

このような2人がともに背番号10をつけて再びJリーグのピッチで戦っている姿を見て、様々な思いが胸に去来してきた私、蹴球人でありました。高校サッカーで抜群の成績を収めた2人が、プロのない当時、サッカーを続ける進路として最高の場所であった筑波大学に進学。そしてちょうど卒業と同時にJリーグができ、紆余曲折はあったものの、それぞれ36歳と35歳になった今もなお第一線で活躍し続けている。2人を高校時代から見続けてきた者として、非常に感慨深いものがあります。

先日の試合では、三浦は今季初めて90分フル出場し、ゲームを落ち着かせる重要な役割を演じて、7試合ぶりの勝利に貢献しました。藤田も81分に交代するまで、ボランチとして左右への展開や献身的なボール奪取、また時には積極的な顔出しでチャンスを数多く作り、健在ぶりを発揮しました。昔から苗字よりも、「フミタケ」「トシヤ」と名前で呼ばれて愛され続けているこの2人には、体力、気力の続く限り、活きの良い、かつ老獪なプレーを披露し続けて欲しいです。がんばれ、フミタケ!がんばれ、トシヤ!

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